水の中のAnswer [1987年4月~6月]
今日で50歳になった杉山清貴。ニューアルバム『』がまさに今日発売だ。昨日は「RADIO SURPRISE!!」(bayfm)に出演していたことを、今日知った。
最近、「HEY! HEY! HEY!」(フジテレビ系)ではある年にスポットを当てて、その年を代表するヒット曲をアーティストが披露するコーナーがあったが、4日前の放送では杉山氏が登場し、オメガトライブ時代の代表曲「ふたりの夏物語-NEVER ENDING SUMMER-」と、解散後のソロデビュー曲「さよならのオーシャン」を披露した。
今日紹介するのは、昭和62年5月27日に発売されたソロとしての3rdシングル「水の中のAnswer」。初登場となった6月8日付のオリコンチャートで、オメガトライブ時代を含めて初の1を獲得。100位以内登場13週、売上15.9万枚。
ソロ転向後はほとんどの曲を自ら作曲するようになった杉山氏だが、作詞は当時のヒットメーカーが担当していた。作詞はチェッカーズ初期の作品でおなじみの売野雅勇、編曲は「ためいきロ・カ・ビ・リー」「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」「大将」「純情物語」といった近藤真彦の曲を手掛けた松下誠。
続く12インチ版の「shade」、4th7インチ「風のLONELY WAY」も含め、計3作で1位を記録した杉山氏といえば透き通った高音が特長だが、「水の中のAnswer」でもそれは存分に発揮されていて、カラオケで女の子の前で歌う場合、特にサビの英語部分がキマれば、モテ度上昇かもよ?
6月8日付のチャートの2~10位までを紹介する。
2位 ソレ以上、アレ未満(国生さゆり)
3位 ろくなもんじゃねぇ(長渕剛)
4位 瞳にSTORM(浅香唯)
5位 SUMMER DREAM(TUBE)
6位 Strawberry Time(松田聖子)
7位 I Don't Know!(BaBe)
8位 NIGHT OF SUMMER SIDE(池田政典)
9位 かたつむりサンバ(おニャン子クラブ)
10位 渚のファンタシィ(酒井法子)
1~4、8位が初登場曲なんだけど、'90年代終盤ごろから定着した、ほとんどの新譜が水曜日発売という時代ではなく、3、8位が5月25日、1、4位が5月27日、2位が5月28日発売だった。「ろくなもんじゃねぇ」は長渕氏自身の主演ドラマ「親子ジグザグ」(TBS系)主題歌だったが、2日遅れで発売しても1位を獲得するところに、当時の杉山氏の勢いがうかがえる。
5位は一昨日このブログで紹介し、キリンレモンのCMに出演していた守谷香のことを書いたが、実は5月27日に「予告編」で歌手デビューし、この週では14位に初登場している。
6、9位も紹介済み。8位は「きまぐれオレンジロード」(日本テレビ系)というアニメの主題歌だった。
この3枚組CDのDISC-2の3曲目に収録
SUMMER DREAM [1987年4月~6月]
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36723
昭和62年4月10日に発売されたTUBEの5th7インチシングル「SUMMER DREAM」は、4月20日付のオリコンチャートで6位に初登場し、前年の3rd7インチシングル「THE SEASON IN THE SUN シーズン・イン・ザ・サン」以来のTOP10入り。以降、順位は5→7→5→5→4と推移し、6月1日付で最高位となる3位を記録した。100以内登場16週、売上21.9万枚。
「ザ・ベストテン」(TBS系)で1位を記録した時は高知県桂浜から生中継で放送された。年間ランキングでは8位を記録。
CD化は平成元年3月21日で、昭和62年8月16日発売の6th7インチシングル「Dance With You」との両A面になっている。
「SUMMER DREAM」のヒットで「TUBE=夏」という方程式が出来上がった。レコードジャケットはハワイで撮影された。
歌い出しの「渚のカセット 好きな歌だけ詰め込んで」のフレーズから、TUBE、作詞の亜蘭知子、作曲の織田哲郎等で構成される「渚のオールスターズ」が結成された。織田氏は自身のアルバム『Songs』でセルフカヴァーしている。
5月21日発売の10曲入りアルバム『SUMMER DREAM』には3曲目に収録されており、シングルが最高位を記録した6月1日付に初登場したが、CD、LP、カセットとも2位で、前週に初登場1位の『Strawberry Time』(松田聖子)の壁を破れなかった。シングルの「Strawberry Time」は初登場から1→1→2→1と推移し、この週は2位。もしおニャン子の初登場連続1位記録(「かたつむりサンバ」で6作連続)を阻んでいれば、聖子さんは2週連続4冠だった。TUBEも聖子さんも当時のレコード会社はCBSソニー。
ちなみに「SUMMWE DREAM」オリコン初登場週の1位は「マリーナの夏」(渡辺満里奈)で、6月1日付の1位は「かたつむりサンバ」(おニャン子クラブ)だった。後者は「Strawberry Time」とともにこのブログですでに紹介済みなので、ご参照あれ。
キリンびん生のイメージ・ソング「シーズン・イン・ザ・サン」同様、キリンレモンのイメージ・ソング「SUMMER DREAM」も12インチシングルが7月1日にリリースされており、こちらは7月13日付のオリコンで最高位19位にランクインし、100位以内登場5週、売上2.3万枚。
ちなみにキリンレモンのCFイメージ・ガールだった当時の新人アイドルは守谷香(もりたに・かおり)といって、61年、松竹「ミス・レインボー」グランプリを受賞し、62年5月27日に「予告編」で歌手デビューした。朝日生命(100周年イメージキャラクター)、日立といった大企業ともCM契約を結ぶほど期待されたが、パッとせず、「守谷佳央理」(読み方同じ)、「守純かほり」(もりずみ かおり)と改名。平成5年、ロックオペラ「ハムレット」に出演し、共演したX JAPANのヴォーカル、TOSHIと9年2月14日に入籍、芸能界を引退し、TOSHIの個人事務所を経営。10年、TOSHIが携わり、自己啓発セミナーを主催する団体「ホームオブハート」(栃木県那須町)のセミナーに参加した同県在住の女性(38)が、マインドコントロールを受け多額の金銭を支払わされたとして、この団体がTOSHIが訴えられたときには、夫婦でワイドショーに出演し、潔白を証言していた。
だが、この女性は昨年、「守谷香-WANKU-」(読み方は“わんく”)として歌手活動を再開。現在も事務所の経営の傍ら歌手活動も行っている。オフィシャルホームページとブログを展開しているので、昔の彼女を知っている人、そしてX JAPAN信者はぜひ閲覧していただきたい。
このCDの3曲目に収録
海峡 [1987年4月~6月]
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=31671
「新宿コマ劇場で座長公演を見たことがある演歌歌手特集」第3弾は吉幾三。
「雪國」がオリコン1位を獲得した吉氏が次にリリースしたシングルは、やはり地元青森を舞台にした「海峡」。オリコンチャートには昭和62年5月18日付で65位に初登場、5月25日付は61位、6月1日付で58位となったが、結局はこれが最高位だった。100位以内登場17週、売上4.0万枚。
「雪國」は61年2月に発売し、1度はチャート圏外に去ったものの、再び冬の季節になるにしたがってまだ売上を伸ばし、念願の紅白歌合戦初出場を果たしてこの曲を歌ったのをきっかけに曲の人気に拍車がかかり、ついにはチャートやランキング番組で頂点に立つまでになったが、結局はこれが災いして「海峡」のセールスは伸び悩んだと思う。次の紅白でも歌ったのは「雪國」だった。
“海峡”と聞くと、石川さゆりが大ブレイクした「津軽海峡・冬景色」があるせいで、海峡→津軽まではいいが、津軽地域は冬が長いこともあり、吉氏の「海峡」も曲を聞くまでは季節は冬というイメージがどうしても固定されがちだ。
でも、「海峡」には天気が横なぐりの雨で、海が荒れているとは歌われているが、季節がいつかは書かれていない。
62年といえば、4月1日、国鉄が民営化されてJRとなった。「海峡」が発売されたのはその34日後。まだ津軽海峡を渡る青函連絡船があり、翌年3月には海底にできた青函トンネルを通るJR津軽海峡線の開通により、連絡船は役目を終えようとしていた。
その船に乗り恋人との別れを決意した女性が横なぐりの雨に打たれながら「も一度やり直せるなら引き返すけどもう遅い。昔から北で死のうと決めていた。貴方を忘れ、幸せ見つけて暮らします」と心情を綴っている。
「雪國」の大ヒットで“コミック歌手”というイメージから正統派への脱皮を「雪國」で果たした吉氏であるが、青函連絡船の運航終了を控えて「海峡」をイメージソングにするというメディア戦略があれば、もっと売れていたと思う。
このCDの曲目に収録
人生いろいろ [1987年4月~6月]
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=31980
ともに今は亡き作詞の中山大三郎、作曲の浜口庫之助はともに数多くのヒット曲を生み出した。“ハマクラ”こと浜口氏の最後のヒット作だ。
島倉氏の人生がまさに「人生いろいろ」である。ひばり氏は小林旭と結婚、その後離婚したが、島倉氏は昭和38年、父が他界した悲しみにくれる中支えてくれた当時プロ野球阪神タイガースの藤本勝巳と周りの反対を押し切り結婚。結婚前に3度の中絶をした。結婚後は子供が欲しかったが恵まれなず。43年、すれ違いの多い生活により別居を経て離婚。家族の元に戻るも反対を押し切って結婚した為に戻れず自分だけの戸籍を作る。母は47年に他界した。
52年、ある人物の借金の連帯保証人になり、その人物が突然失踪、数億もの借金返済のため、写真集の発売、キャバレー回りなどをしながら、足掛け7年程で完済した。彼女の支持はこのような「アンダーグラウンド」的な活動をしている最中でも衰えを知らず、「人生いろいろ」を発売した62年に出場辞退するまで、史上初のNHK紅白歌合戦30年連続出場の大記録を樹立した。
翌63年、「オレたちひょうきん族」での山田邦子の物まねやコロッケによる物まねをきっかけに「人生いろいろ」が若者にも受け、大ブレーク。同年の第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。オリコン最高位16位、100位以内登場86週、売上31.1万枚のロングヒットとなり、前年自ら卒業宣言した紅白にも再び出場し、その後は平成6~8、14年に出場した。
出荷枚数が100万枚に達したことで、記念パーティーが行われた。山田さんとコロッケが本人の目の前で、島倉氏の物真似による「人生いろいろ」を熱唱。これに対し島倉氏は、「山田邦子さんとコロッケさんのおかげで、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり、光栄です。」と二人を賞賛した。
平成5年は初期の乳がんの手術をするなど苦労も多かったが、復帰舞台となった新宿コマの座長公演を見た。その後はライブハウスで歌ったり、小田和正から「あの頃に届け」(平成5年の紅白で披露)の提供を受けるなど、演歌歌手の枠をはみ出して精力的に活動している。
この2枚組CDのDISC-1の15曲目に収録
Get Wild [1987年4月~6月]
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37244
昨日の「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)は「SMAP×SMAP」名曲歌謡祭として、往年のアーティストたちがSMAPと共演する企画だったが、その中の1組として出演していたのがTM NETWORK。今日はこのブログで初めてTM NETWORKの曲を取り上げる。昨夜の放送で歌っていた「Get Wild」だ。
読売テレビ系アニメ「シティーハンター」のエンディング・テーマとして使われたことでTM NETWORKは大ブレイク。 オリコン最高位9位、100位以内登場26週、売上23.1万枚。B面の「Fighting(君のファイティング)」はアルバム『Self Control』からのカット曲であり、「シティーハンター」で挿入歌として使われた。
昭和62年4月20日付のチャートに26位で初登場。2週目からは19位→18位→16位→12位と上昇し、6週目の5月25日付で9位に入り、そこから7月27日付までの9週間は9位→12位→11位→9位→10位→9位→10位→10位と計7週トップテン入りした。
「ザ・ベストテン」(TBS系)ではまず「今週のスポットライト」のコーナーに初登場し、小室哲哉がグランドピアノの自動演奏を披露するなどした。シンセサイザーをはじめとする電子楽器をずらりと並べた様子司会の黒柳徹子は“大荷物”と表現した。
さらに「夜のヒットスタジオDELUXE」(フジテレビ系)に出演した際は、司会者の古舘伊知郎に当時の日米の貿易関係とひっかけて“歌う日米半導体摩擦”と形容された。
サビのメロディーをなぞるエレクトリックピアノのイントロから静かに始まり、その後、ディストーションギターやドラムが入り、激しさを増すという曲構成。リフレインの前の間奏で転調し、再びサビのメロディーをなぞるエレクトリックピアノのソロが入り、リフレインの後、フェードアウトする。「静→動→静→動」と移り変わるアレンジが印象的である。
後に小室氏は、雑誌「サウンド&レコーディング・マガジン」のインタビューで、「このオリジナルバージョンのドラムは打ち込みでは出せないタイム感を出すために、ドラムトリガーを使って山木秀夫が叩いた」と語った。1980年代後半といえば、日本のポップスはスネアドラムが全盛だったが、当時まだ未定着であったユーロビートサウンドを見据えて、バスドラムの四つ打ちを強調するため、スネアドラムは一切使われていない。
なお、ギターは翌年にB'zの一員としてデビューする松本孝弘である。
ライヴ演奏では会場を盛り上げるために、イントロの前、もしくは代わりにサビ部分の「GET」の部分を、小室氏のシンセサイザーによってラップ調で流される事が多い。昨夜の放送でもそうだった。
またこの曲は非常に多くのアレンジ、リミックスが出ており、平成元年にアルバム『DRESS』のリードシングルとして「GET WILD '89」が4月15日にリリースされた。こちらは4月24日付のオリコンチャートに3位で初登場し、トータルの売上は12.9万枚、100位以内登場11週。同時リリースされたリミックスシングルが「COME ON EVERYBODY(with NILE RODGERS)」と「KISS YOU(KISS JAPAN)」で、それぞれ5位と7位に初登場した。
“プロジェクト終了”後の平成11年7月、TM NETWORKの再結成時には、「GET WILD DECADE RUN」というセルフカヴァーもリリースされている。同時期にはオリジナル・ヴァージョンがマキシシングルとして発売。c/wには「GET WILD '89」、そして当時鈴木あみ(現「鈴木亜美」)がカヴァーして大ヒットした「Be Together」が収録されている。
17年11月2日には玉置成実がシングルとして「Get Wild」をカヴァーリリースした。
この2枚組CDのDISC-1の11曲目に収録
思い出のビーチクラブ [1987年4月~6月]
作詞:売野雅勇 作曲:林哲司 編曲:船山基紀 '87年4月22日(水)発売 歌:稲垣潤一
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37767
「1ダースの言い訳/April」以来稲垣潤一1年2ヵ月ぶり10、11枚目のシングルは「思い出のビーチクラブ」。稲垣氏の歌の中で私が一番好きな作品だ。
「'87カナダドライジンジャエールCMソング」。オリコン最高位30位、100位以内登場7週、売上3.4万枚と、当時よくCMで耳にしたわりにはセールスが意外に伸びていない。しかし、稲垣氏がドラムを叩きながら歌うこの曲は大きな果実を手にした。
作曲家の林哲司は、杉山清貴&オメガトライブ('83~'85年)と菊池桃子('84~'87年)の全シングルA面を担当し、'80年代を代表的するヒットメーカー。
「日本レコード大賞」を主催する「日本作曲家協会」は当時、「日本作曲大賞」も毎年開催しており、レコード大賞同様、TBSが生放送していた。林哲司はこの曲で昭和62年の大賞を受賞したのだ。
この頃の林氏は、ヒットメーカーだけにとどまらない活動をしていた。'87年夏といえば、8月1日に「ハチ公物語」という映画が公開され、林氏は音楽プロデュースだけでなく、シンガーとして自ら作・編曲した主題歌「ガラスの観覧車」をリリースした。作詞はこちらも売野雅勇。
このCDの8曲目に収録
このCDの1曲目に収録
サマー・ラブ [1987年4月~6月]
作詞:なかにし礼 作曲:井上大輔 編曲:井上大輔、前田憲男 '87年3月21日(土)発売 歌:尾崎紀世彦
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36671
「また逢う日まで」のヒットで知られる尾崎紀世彦が歌った「サマー・ラブ」。アサヒビールの生ビールがリニューアルされた翌年の昭和62年、そのCMソングに起用されて話題を呼んだ。オリコン最高位34位、100位以内登場16週、売上5.0万枚。
しばらく見ないうちに、尾崎氏の髪型がちょんまげヘアーになっていたのにはびっくりした。年齢を重ね、穏かなテイストが加わったとはいえ、彼の歌唱力は健在だ。
青木功と尾崎将司の日本ゴルフ界両巨頭が共演したCMでは、青木氏が「コクがあるのに」、尾崎氏が「キレがある」とそれぞれ言い、お茶の間を賑わせた。この「コクがあるのにキレがある」というあまりにも有名なキャッチコピーで売り出したリニューアル生、通称「アサヒ本生」。現在もスーパードライで使われている「Asahi」の独特のロゴはこのビールから使われ始めた。
それまでの不評だったアサヒの生から一転、味をしっかりさせつつしかも飲みやすい、文字通りコクとキレを兼ね備えたいい出来のビールだったと評判だったが、実は昭和62年のアサヒビールといえば、日本初の辛口生ビール「スーパードライ」が発売された。やがて同社の普通の生ビールはスーパードライや発泡酒に押されて、発売を中止する。でもこの本生、現在でも料飲店向け樽生製品(いわゆる業務用)として現在も吹田工場において生産が続いている。
よく丸山茂樹が両巨頭をはじめ、多くのゴルファーのものまねをするが、もともと青木氏は解説でも聞くようにものまねをされやすい話し方をする。20年前、みんなもよくこのCMを見て青木氏のまねをしたでしょ?
話しかけたかった [1987年4月~6月]
作詞:戸沢暢美 作曲:岸正之 編曲:萩田光雄 '87年4月1日(水)発売 歌:南野陽子
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18歳の誕生日に「恥ずかしすぎて」でデビューしてから22年。'80年代後半を彩ったトップアイドル、“ナンノ”こと南野陽子が6月23日に40歳の誕生日を迎える。そこでこのコーナーでは初めてとなるが、ナンノの曲を紹介する。
今日取り上げるのは7thシングル「話しかけたかった」。前作「楽園のDoor」に続いて通算2作目となるオリコン初登場1位をマーク。100位以内登場11週、売上23.4万枚。「ザ・ベストテン」でも自身初の1位に輝き、感涙に浸った姿が忘れられない。
好きな男の子の気を引きたくて色々な手段を遣うけど、その彼がポニーテールの髪型をした女の子と歩いているところを見てしまうという失恋ソング。軽やかなアレンジで展開されているため、聴き終わった後は爽快感が残る。
この曲が1位を獲得した昭和62年4月13日付のチャートを眺めてみると、2位に立花理佐のデビュー曲「疑問」、10位にとんねるずの「迷惑でしょうが…」、29位に五木ひろしの「追憶」がそれぞれ初登場。
6位にチェッカーズの「I Love You, SAYONARA」、以前このブログで紹介したTHE ALFEEの同時発売シングルは登場4種梅で、「サファイアの瞳」が9位から7位(初登場1位)、「君が通り過ぎたあとに~Don’t pass me by~」が13位から12位(初登場5位)へとそれぞれ再上昇している。
この2枚組CDのDISC-1の9曲目に収録
シンデレラ・リバティ [1987年4月~6月]
作詞:三浦百恵 作曲:Annie 編曲:村松邦男、鈴木雅之 '87年4月1日(水)発売 歌:鈴木聖美 with RATS&STAR
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B15063
鈴木聖美が今年デビュー20周年を迎えたということで、今日は彼女のデビュー曲「シンデレラ・リバティ」を紹介する。♪Touch Me Baby(この後RATS & STARによる輪唱)~。
4歳下の弟・鈴木雅之がリードヴォーカルを務めるシャネルズ(後に「RATS&STAR」と改名)のライブでバックとして歌っていたり、コンサートでもソロコーナーがあったり、昭和57には「シャネルズ+1」名義で「もしかして I LOVE YOU」をリリースしたことがある。
その歌唱力が周囲に評価され62年、34歳で8ヵ月でついにデビューを果たす。デビュー曲「シンデレラ・リバティ」は作詞が往年のアイドル山口百恵こと三浦百恵、作曲は百恵氏の親友アン・ルイスが「Annie」のペンネームで手掛けたという話題性の高い曲だった。私の記憶が正しければ、この曲はメナード化粧品のCMソングだったと思う。オリコン最高位65位、100位以内登場9週、売上2.2万枚。
今聞いてもソウルフルな歌唱力に圧倒される。続くシングル「ロンリー・チャップリン」は弟の雅之氏とのデュエットというスタイルを取り、永遠のスタンダードナンバーとなった。
この曲をAIが歌えばすっごく似合うと思うよ。
このCDの1曲目に収録
Strawberry Time [1987年4月~6月]
作詞:松本隆 作曲:土橋安騎夫 編曲:大村雅朗 ‘87年4月22日(水)発売 歌:松田聖子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36362
今日は辻希美が20日の誕生日。先月杉浦太陽との結婚、そして自身の妊娠を発表した際、今日に入籍する予定であることを明らかにしている。
“元祖・ママドル”といえばこの人、松田聖子。辻ちゃんが生まれた頃の聖子さんが歌っていた「Strawberry Time」を今日は紹介する。
昭和60年に俳優・神田正輝と結婚した松田聖子は翌61年、アルバム『SUPREME』を発売。第28回日本レコード大賞アルバム大賞を受賞し、その席でステージに復帰した。
61年10月1日、長女・沙也加ちゃんを出産しママになった聖子さんは62年、まず篠山紀信撮影による写真集「FIVE SEASONS」(扶桑社刊)を4月18日に発売し、復帰後最初のシングル「Strawberry Time」を4月22日に、この曲を1曲目に収録した同タイトルのアルバムを5月16日にリリースした。歌、衣装を含め、結婚前と変わらない路線で歌い、人は彼女を「ママドル」と呼ぶようになる。歌声はより艶が増し、「ベルベット・ヴォイス」とも呼ばれるようになった。5月19日からのコンサート・ツアーはいきなり2日間の追加公演という盛況ぶりだった。あれから20年、聖子さんは今もなお女性から熱烈な支持を受けている。先日NHKで聖子さんに密着取材した番組を見たが、なるほど61年に男女雇用機会均等法が施行されてから、子宝に恵まれても第一線で活躍する聖子さんの姿は、世の中の女性のあるべき姿とリンクしている。
「Strawberry Time」は通算23枚目のシングル。5月4日付のオリコンチャートで1位に初登場。5月11日付でも1位を獲得。100位以内登場10週、売上は31.7万枚。
作詞は「白いパラソル」から「ハートのイアリング」までのシングルA面を担当してきた松本隆、作曲は当時人気絶頂のバンドだったレベッカのキーボード奏者の土橋安騎夫。
シングルとアルバムを両方持っている人は今一度聞き比べてほしい。ヴァージョンが違うでしょ? 当時のインタビューで聖子さんは
「やっぱり、おんなじじゃつまんないだろうから、って(笑)。変化を持たせよう、っていうことで、じゃ違うアレンジをした方がオモシロイんじゃないだろうかということなんです。そうすれば、みなさん同じ曲で2倍楽しんでいただけるでしょう」
と答えている。
この2枚組CDのDISC-1の4曲目に収録








